哲学と反理性主義

1968年五5月、パリ大学の学生を中心に、カルチェ・ラタンやナンテール文科大学を主な舞台として織烈な学園紛争が勃発しました。この紛争の影響はやがてフランス最大のルノー自動車工場にも波及し、社会全般をおおう不安を醸し出したため、一般には五月事件、時には五月革命とさえ呼ばれることがありました。当初この事件は単なる学園紛争と見えましたが、想像以上に根は深く、多くの知識人たちは、現代社会の深層心理を支配しつつあった、暗く広い流れが、地殻を破って噴火したものに他ならぬと解釈しました。その証拠に紛争の伝達速度はきわめて迅速で、たちまちヨーロッバ全域はおろか、アメリカや日本の諸大学にも大なり小なり類似の騒動をまき起こし、先進社会の底流に何か共通の不安があれぱこそこういう事熊を発生させたのだ見ていました。彼らによれば、一時流行のバラ色未来学の夢はすでに一片の幻想と化し、政治、経済、社会、文化の全域にわたって要解決の問題が山積し、大戦後四半世紀の現時点ではまさに爆発寸前の状態にあったのだと言います。そして、この本安の醸し出す重圧を感じ取っていたのはむろん知識層だが、一般知識層よりも、若さの点で比較にならね大量のエネルギーを内蔵する学生層が、身の置きどころもない限界状況に怒りを爆発させ、暴走し始めたのだと推測しました。
この推測はおそらく誤ってはいませんでしたが、深刻な家計や社会不安は、紛争さえ起こればそれで解消というものではありえません。紛争は問題の単なる存在証明にすぎないために、その後の我々にとっては、むしろ、問題との対決姿勢をどう固めるかこそ重大関心事なのでした。ところが残念にも現在までのところ、問題の重大さや、救いようもない社会荒廃に圧倒されて、かつての絶望感を表明する人々だけが目立ち、問題の内部に分け入り、冷静に禍根を排除しようと身を傾けている例はあまりに少なく、70年代に入ってから、わマスコミ社会や、哲学思想界の一隅で、時々聞かれる反理性主義、科学の終焉、等々の声は、むろん前者の類型に属します。そこでは、かつて西欧の段落や不安の哲学を主唱した人達への回帰さえ企てられていました。多少の隔差はあっても、この種のわき声に共通の思想的因子は、近代的理性に対する極端な不信感でした。近代理性の積極的自己主張は、言うまでもなく合理主義ですが、合理主義が科学の装いをした場合それは科学的進歩への盲目由信仰となり、またそれが社会思想の装いをまとった場合に、お金中心の資本主義的利潤過末の絶対化、あるいは反人間的な成功主義に変貌します。彼らのこういう焦操を直接に現す標語として登場してきたのです。第二次世界大戦後まで、近代合理主義の進歩史観や成功主義をその根底に置いて支えてきた科学枝術の顕著な成果も、結果としては公害による生活環境の破壌や、呼吸困難な管理社会しか生み出さなかった以上、反理性主義はあるいは情緒的に広く受けいれられるかもしれません。近代合理性の反人間的荒廃は、目に余るものがありますが、それは近代合理主義における理性使用の誤りに基づくもので、公害一つをとってみても、それは近代科学技術の合理主義が、企業合理主義に転落した結果に他ならず、お金中心の利潤合理主義を最高要請とする企業の合理主義こそ元凶なのでした。生産性、つまり利潤にとってのプラス面だけを追求し、利潤にとってのマイナス面、つまり廃棄物質の発生には全く意を用いなかったからでした。これが公害物質と呼ばれるものに他なりませんが。短絡的に近代科学技術の終末を宣言したりしてよいものではなく、そこには疑いようもなく間題視点のすりかえがあり、誤ったのは人間理性ではなく、使用形熊であり、近代人間は企業利潤の方向にのみ使用したのでした。

philosophy

         copyrght(c).philosophy.all rights reserved