コギト・エルゴ・スム

ユギト・エルゴ・スムとはデカルトの造語で、私は考える、だから私は存在するという意味です。古い起こりを尋ねれば、中世初期のキリスト教世界観を基礎づけたアウグスチヌスに、すでにこれと似た考え方はありました。そこでは、我愛す、故に我在り、となっていましたが、デカルトがアウグスチヌスを知っていて彼のことばを言ったにせよ、それでデカルトの近代的創造性は少しも揺るがなといって、デカルトがこれをいった意図は、そもそもアウグスチヌスとはまったく別のところにあったからでした。デカルトは、精神実体の原理として、考える実体、換言すれば、考えるだけしか機能がなく、他にいかなる性質も機能も持たない実体が、現実に存在することを実証して、それを自己の哲学体系の最初の一歩にしようとしました。だから私は存在すると言っても、実は肉体を持つ私のことではなく、それは精神実体としての私、つまり意識としての事実が存在することを主張したのでした。なぜこうした実体の存在が彼にとって不可欠のものと思われたのかといえば、それは自然科学の原理が延長をもつ実体としての物質であるのと並行して、哲学の原理は、非物質的な実体、つまり考える実体でなければならないという確信を持っていたからでした。

philosophy

          copyrght(c).philosophy.all rights reserved

philosophy