判断中止

古代ギリシャの懐疑論哲学で最初に使用された言葉が判断中止でした。真理は提える人間主体によって相対的であり、真理への到達は所詮不可能であるために、さまざまな判断を停止し、現象をありのままに受容せよという主張です。これを近世のデカルトは、聡明かつ判明な直観的知識以外には、判断に加えるぺきではないと改容ました。これをまたドイツ現象学派のフッセルは再改容的に継承し、いわゆる現象学的還元なる方法概念を打出しました。自然的かつ日常的な認識方法において無検証的にあらゆる外界の超主観的な実在に関する曖昧な判断を中止し、つまりあらゆる経験的料学の提供する認識を一応排除し、直観的に明確な知的形相、本質を把握することこそ哲学の任務であると主張しました。第一次大戦後、現象学派は、一時流行の波に乗りましたが、実存主義と史的堆物論の双方から攻撃されて急速に陰の存在となりました。第二次大戦後1960年代に人ると共に、論理実証主義や計量経済学の台頭に促され、哲学の面でも現象学的な見方の復活が見られました。それは、外界を避断し、直感的に明白な形相のみによって構築されるモデル、体系的に完結した小宇宙を通じて本質を把握しようとする現象学的還元の方法でした。

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