意識産業

意識産業とは、エレクトロニクスメディアを先頭とする現代の多様なマスコミメディアを生産手段として、広く人問の意識活動を再生産するための原料を提供する産業。社会の構造と組織が産業の大規模化につれて巨大化すれば、人間の意識活動に必要な資料、つまり情報に対する需要もまた当撚多様化し大量化する必要があります。この現実需要が斬新な産業としての意識産業を独自な産業として成立させた理由です。しかしこれを哲学及び思想との関連から見ると、スイッチ操作で自由にだれでも関与できるという点では、たしかに書物などの排他性を克服しており、エリートによる知識的特権を打破できる希望を持たせますが、知識一般の本質的特徴は、あくまでその対話性にあり、知識は矛盾を通じての自己再生産以外に自己の生命を保つ方法を知らないのでした。情報の蓄積だけでは、とくに思想のような知識は生きてはゆくことができず、一方交通が、この産業の致命的欠陥であることは明らかになりつつあるりますが、端的にそれを示しつつある場面を我々は、マスコミメディアを利用しようとした新しい教育の試みが殆んど失敗した事実を見ることになります。したがってエンツェンス・ベルガーの抱いているような社会主義的社会における産業へのバラ色の希望も、いささか短絡的だというそしりをまぬがれまず、意識産業にたいする社会主義政治権力の強力な統制が、意識産業による国民意識の統制と直結するのではないがという深刻な疑間には少しも答えていないからでした。

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